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水割り日本酒のルーツは江戸時代だった!水割り”されていた”理由と蘇った江戸酒

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水割り日本酒のルーツは江戸時代だった!水割り”されていた”理由と蘇った江戸酒

日本古来のお酒である日本酒。江戸時代には水割りにする飲み方がメジャーだったということをご存知でしょうか?その裏にあるのは、まだ発達していたとは言えない醸造技術の中、なんとか美味しいお酒を飲もうという江戸っ子たちの想い。

今回は、江戸時代の日本酒事情や江戸時代を再現したおすすめの日本酒についてご紹介します。いますぐ日本酒の水割りを飲みたいという方は、こちらの記事を参考になさってくださいね。

日本酒の水割りを美味しく作る方法!アルコール度数12度、温度は5度が目安

1. 日本酒は、江戸時代ではアルコール度数 5%程度 だった

江戸時代の日本酒は、水割りにして飲むのが主流だったと言われています。そのアルコール度数は10%以下だったとのこと。

現在の日本酒の原酒のアルコール度数はだいたい17~22度であることを考えると、江戸時代の日本酒は低アルコール飲料だったことが分かります。その理由は一体何なのでしょうか。

1-1. 江戸時代も、原酒のアルコール度数は17度~20度で今とほぼ同じ

醸造学の権威として有名な小泉武夫教授が行った実験によると、江戸時代の日本酒は非常に濃い味のものだったといわれています。

現代に残る江戸時代の資料どおりに酒造りをしたところ、アルコール度数は17~22度と現在の日本酒の原酒と変わらないにもかかわらず、糖度と酸度がとても高くみりんのような日本酒ができあがったというのです。

この日本酒を薄めて飲んだところ、アルコール度数5度になるまで味には大きな変化がなかったとのこと。このことからも、江戸時代には日本酒を水割りにしていたのではないかと考えられているのです。

江戸時代の日本酒のように色の濃いウィスキー

1-2. 酸味や糖度が今よりも何倍も高く濃い江戸の日本酒

小泉教授が再現した江戸時代の日本酒は、アルコール度数は現代と変わらないものの、アミノ酸度・酸味の高い味の濃いものでした。糖度にいたっては、4倍から5倍ともいわれています。

この要因のひとつと考えられるのが、当時はまだ洗練されていなかった醸造技術。日本酒の味の決め手となる米の磨き度合い「精米歩合」(せいまいぶあい)にいたっては80%~90%前後だったり、すべての工程が今よりも技術がなかったためというのが通説です。

酒造りが始まった当初は、臼(うす)と杵(きね)を後ろ足で踏む「足踏み精米」という技術で米は精米されていました。江戸時代後期になると、水車を使った「水車精米」が主流となります。

15kgの玄米を夜通し2日間水車精米し、できあがった米の精米歩合は82%ほど。足踏み精米にいたっては、その歩合は92%程度だったといわれています。

精米歩合が低いということは、米にたんぱく質などの栄養が残ったままということ。食用であれば旨味のもとになる栄養も、日本酒を仕込む際には味の雑味に繋がってしまうのです。発酵の段階ではより糖化が進み、味の濃い甘い日本酒ができあがったと考えられます。

1-3. 醸造量と消費量を比較したところ、3~4倍希釈されていたというデータがある

江戸時代に造られた酒の総量と消費量を比較すると、数値が合わないという研究データもあります。つまり、明らかに造った量よりも消費した量が多すぎるということです。この数値の相違には、現在の酒税法である当時の石造法が関係していると考えられます。

江戸時代は、アルコール度数に関係なく酒の量に対して税金が課せられていました。税金を安く上げたい蔵元はなるべく濃い日本酒を造り、輸送し、仲買や酒屋が薄めてかさ増ししたものを販売していたのです。

当時の酒の総量と消費量、酒税の記録を照らし合わせると、実に3~4倍は希釈して飲んでいた計算になると言われています。

アルコール度数17~20度の日本酒を3~4倍に希釈してできあがるのは、ちょうど5度くらいのお酒。当時は砂糖が高価で貴重だったため、みりんのように甘い日本酒を薄めて飲むことで甘みを楽しんでいたとも考えられるでしょう。

ここがPOINT!

  • 江戸時代の日本酒は、水割りでアルコール度数5%程度だった
  • 江戸時代の日本酒は、アミノ酸度・酸味が今より何倍も高く、味が濃くみりんのようだった
  • 過去の資料では、(造った量<消費した量) となっており、日本酒をかさ増しして売っていた根拠になっている

大阪城 大阪の空

2. アルコール度数が低くないと話が合わない酒合戦

もうひとつ、江戸時代の日本酒がアルコール度数が低いお酒だったと考えられる要因が「酒合戦」です。

酒合戦とは、江戸の酒豪たちの間で行われた大酒大会のこと。中でも、千住宿の中屋六右衛門が自らの還暦を祝った「千住酒合戦」は、酒量の多さが現在まで語り継がれています。

主な記録として残されているのが、
・新吉原の伊勢屋言慶「三升五合余」
・下野小山の左兵衛「七升五合」
・千住の松勘にいたっては、全ての酒を飲みほしたとか…。

1升が1.8Lですから、七升といえば実に12L以上!現在で考えれば確実に体に異常をきたす量です。これらの酒合戦が度々行われていたことからも、江戸時代の日本酒はお酒で薄めたアルコール度数の低いものだったのでは?と考えることができるのです。

ここがPOINT!

  • 酒合戦(飲む量の競い合い)では、12Lも飲み干したデータがあり、アルコール度数15%の日本酒では考えられない。

酒合戦 飲みつぶれた男性とそれを見つめる女性

3. 江戸時代の日本酒を再現した日本酒がある!

ここからは、江戸時代の日本酒を再現した現代の日本酒をご紹介します。かつての日本人が愛飲していたと思われる味は、水割りにも適したお酒。歴史に想いをはせながら盃を傾けるのもまた一興ですよ。

3-1. 開春『寛文の雫』

島根県の酒師・堀江修二氏の指導と、江戸時代の文献を参考に忠実に再現された日本酒です。使用する酒米は山田錦。精米歩合は90%の米で仕込まれています。

酸度、アミノ酸度ともに4.1の日本酒は、個性的で奥深い味わい。伝統の木桶仕込みの香りを感じながら、水割りにチャレンジしてみるのもおすすめです

3-2. 玉川 Time Machine 1712

江戸時代の酒蔵の風景を描いた「Time Machine」(タイムマシン)は、江戸時代の製法で造った日本酒。超甘口でありながら、吟醸酒と比べ酸が3倍、アミノ酸度は5~7倍という実にふしぎなお酒です。

そのままロックや水割りにする他、アイスクリームにかけたりクセの強いブルーチーズなどと合わせるのもおすすめ。食前酒としてデザートワインのように味わっても美味しいですよ。

3-3. 浅黄水仙 2003

浅黄水仙の精米歩合は江戸時代と同程度の90%。山形県産の美山錦を使用し、伝統的な生もと製法で仕込んだ純米酒です。江戸時代の文献を参考に、麹や水の量を調整して造られています。

一升瓶に詰めて光の入らない貯蔵庫で熟成させた浅黄水仙は、現代の日本酒にはない濃厚な味わい。アルコール度数は16%となっています。

まとめ

日本酒を飲み、大勢で宴会をすることは江戸時代から庶民の娯楽のひとつであったことが分かります。現在は醸造技術が発達し華やかな香りや繊細な味わいを持つ日本酒が、かつては実に濃厚で水割りにされていたとは興味深いですよね。

ぜひ江戸時代にタイムスリップする気持ちで、今回ご紹介した銘柄にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

ここがPOINT!

  • 江戸時代の日本酒は、水割りでアルコール度数5%程度だった
  • 江戸時代の日本酒は、アミノ酸度・酸味が今より何倍も高く、味が濃くみりんのようだった
  • 過去の資料では、(造った量<消費した量) となっており、日本酒をかさ増しして売ってた根拠になっている
  • 酒合戦(飲む量の競い合い)では、12Lも飲み干したデータがあり、アルコール度数15%の日本酒では考えられない。
  • 江戸時代の製法を再現した日本酒が存在する。(技術は数段上なので、しっかりとおいしい)