酒蔵にとって大敵である納豆。なぜ酒蔵に納豆菌を持ち込んでしまうことがNGなのか、その理由を探っていきましょう。
絶妙なバランスで環境が保たれている酒蔵
酒造りは麹菌や酵母菌、乳酸菌といった、肉眼では見ることのできない微生物たちの力を借りて行われています。そのため、酒蔵の中を完全な無菌状態にすることはできません。
同時に、必要のない微生物は蔵に持ち込まないのが大原則でもあります。蔵人たちは、酒蔵内の入念な清掃や酒造りで使う道具の丁寧な洗浄、手洗いとアルコール消毒による徹底した殺菌で、酒蔵を清潔に保っています。
このように、微生物たちの力を借りつつも必要のない微生物は立ち入り不可という絶妙なバランスが保たれているのが酒蔵です。非常にデリケートな場所だということが分かりますね。
納豆菌が酒蔵の大敵である二つの理由
納豆菌の高い繁殖力
一つ目の理由として、納豆菌の繁殖力の高さが挙げられます。この繁殖力の高さゆえに、酒造りの要である米麹にとって、納豆菌は大敵と言えるでしょう。
酒造りの世界には「一麹、二酛(もと)、三造り」という言葉があり、日本酒造りにおいて何より重要なのは麹造りであり、次いで「酛(もと:お酒の元となる酒母)造り」、もろみを仕込む「造り」が重要であるとされています。米麹の品質で日本酒の品質も変わるとされ、高品質な酒造りは高品質な米麹造りに懸かっていると言っても過言ではありません。
そんな酒造りの要である米麹は、洗って蒸した米に麹菌の胞子を振りかけ、米の中で麹菌を繁殖させて造ります。蔵人たちは良い米麹を造るために、温度や湿度などを徹底的に管理し、麹菌にとってベストな環境を整えることに神経を使います。
実は、納豆菌の生育に必要な環境は、麹菌の生育に適した環境に似通っているそう。つまり、蔵人が麹菌のために一生懸命整えた環境は、納豆菌にとっても居心地のよい場所なのです。
そのような環境下で、麹菌だけでなく納豆菌も米に付着してしまったとします。そうすると、納豆菌はその繁殖力の強さから、麹菌より先に繁殖してしまいます。納豆菌に縄張りを奪われてしまった麹菌は繁殖できません。結果、できるのは米麹でなく、ヌルヌルとした納豆のような麹です。当然、これではよい日本酒が造れません。このような理由から、酒蔵では納豆がNGとされています。
熱湯や石鹸にも負けない生命力
酒蔵にとって納豆菌がNGであるもう一つの理由として、一度侵入した納豆菌は、取り除くことが難しいという点が挙げられます。
納豆菌は、厳しい環境下でも生き延びるタフな生き物と言われています。高温や乾燥に強く、100℃のお湯で熱湯消毒しても、石鹸で洗っても殺菌できないそう。酒造りで使用する道具類は熱湯殺菌が基本ですが、それだけでは納豆菌を殺菌できないのです。
このような理由から、納豆菌は絶対に酒蔵に持ち込んではならない微生物であり、酒造り期間中の蔵人にとって、納豆は控えるべき食べ物とされてきました。
変化した蔵人と納豆の付き合い方
酒造り期間中の蔵人に忌避されてきた納豆ですが、それは一昔前の話。今では、蔵人が納豆を食べてもまず問題は起こらないとされています。蔵人たちと納豆の付き合い方に変化が起きた理由をご紹介します。
まずは、納豆菌が繁殖しにくくなったことが挙げられます。
昔の納豆は強力な野生の納豆菌を使っていました。そのため、手を洗った程度では完全に落ちず、酒造りに使う米や道具に付着してしまう場合があったと言われています。
対して、現在流通している納豆に使われている納豆菌は、清潔な製造環境での使用を前提として純粋培養されたものです。よって野生の納豆菌よりは弱く、昔に比べると汚染の心配も少なくなりました。
また、今の日本酒造りには、より小さく精米した米が使われるようになりました。こういった米は納豆菌にとっての栄養分も削がれているため、納豆菌は昔より米に繁殖しにくくなりました。
また、酒蔵の設備の変化も理由の一つです。
酒造りの要であり、納豆菌を天敵とする米麹。そんな米麹は、麹室(こうじむろ)と呼ばれる室温30℃前後の部屋で造っていきます。
昔の酒蔵では、麹室を藁で保温していました。そのため、土壌や植物に普遍的に存在する常在細菌である納豆菌が、保温のために使用した藁にも付着しており、そこから汚染が始まってしまう場合もあったようです。
今の酒蔵では、ステンレスなど衛生的な環境が保ちやすい素材が導入され、そういった汚染の心配もなくなりました。
以上のような理由から、今では酒造り期間中の蔵人が納豆を食べてもまず問題は起こらないとされています。ただ、昔より忌避されてきたものではありますので、願掛けの意味合いも込め、酒造りの期間中に納豆を絶つ蔵は今でも多いようです。
小さな生き物たちとの関わりに思いを馳せながら
今晩は、肉眼では見られない小さな生き物たちと上手に付き合いながら今日まで続いてきた日本酒造りに思いを馳せつつ、一杯飲んでみてはいかがでしょうか。